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急行日南の時代の頃は、小倉までは鳥栖運転区が乗務してたんですね。博多以北は、小倉運転区だと思ってました。
音欠けしてしまったハイケンスに時の流れを感じます。日豊線は長閑で情緒があっていいね。
[西鹿児島ゆき]と言う時のイントネーションがどんな車掌さんも同じなんですね。九州独特のアクセントがあるからだと思います。他の車内放送聞いても同じイントネーションですね。九州らしい放送、九州の放送の思いでになります。もう聞けないので貴重ですね。
ちょうどこの年あたりに、東京から寝台特急と九州ワイド周遊券を使って九州巡りをしましたが、周遊の途中で、博多から西鹿児島までの大移動の際に、日南を選択して乗り通しました。かいもんでも良いかと思いましたが、確か少しでも長い時間列車に揺られたいと思い、寝台の指定を取ったと思います。寝台利用者がほぼ宮崎までで下車したようで、宮崎以南の普通列車運転では貸切状態で、贅沢な思いをさせてもらいました。まだゆったりと汽車旅を満喫できた良い時代でしたね。
はじめまして。父が現役車掌だった時の車内放送が聞けて、父と共に感動しております!!映像を残していただきありがとうございます(´;ω;`)チャンネル登録させてもらいました。映像をみながら父の思い出話を聞きたいと思っております。
喜んでいただけて光栄です。国鉄末期~JR初期にかけては、趣味的には最も楽しい時期でした。旅情を味わえる列車も相次いで廃止されていき、ベテラン車掌長さんたちも引退され寂しい限りです。折角高性能デジタルビデオカメラやレコーダーが発売されても記録に残したい対象がすでに消滅してしまったのが残念でなりません。拙い映像や音声ですがよろしくお願いいたします。
ただ懐かしい。
20系乗りましたね~。上段だったんで割りと頭上空間ありました‼️🤣 西駅発車直後、車掌さん達が「おっ、寝台、1人乗っとる」と話していたことを思い出します🤣
この動画では博多始発ですが、1982年11月改正時の時刻表(復刻版)を見ると、門司港始発だったみたいですね。1982年だと1号車より前の西鹿児島側に郵便車(門司から)と荷物車を連結していたようです。また、西鹿児島行きは宮崎から都城までは始発列車を、門司港行きは国分から宮崎までは最終列車を担っていたようですね。
北海道の人間だから日南号には乗ったことがないけど、札幌ー青森を結んでいた急行はまなすと雰囲気がよく似ていると思った。きっと昔はこんな旅情あふれる夜汽車が全国に走っていたんでしょうね。今は全部なくなってしまいましたが…
かつては新聞や荷物輸送も鉄道が担っていましたから、多くの夜行列車が運行されていました。荷物扱いがなくなってからは、夜行列車の廃止が加速して、団塊世代の引退と国鉄から引き継いだ車両の更新時期にあわせて風前の灯となりました。
気分最高です。
これは特殊なんですよね。一応かいもんと共通運用なんですけど。宮崎から普通に変わるんですよね。
筑豊本線で50系連結してた車内ですね 1回だけ乗車した経験があります
宮崎を過ぎると、普通列車になるので、通学の高校生が一杯乗ってきたように覚えています。
確かに通学生は乗ってきましたが、大した混雑ではなかったと思います。むしろ、通学時間帯を過ぎた鹿児島直前の用務客対応の方が乗車率は高かったと記憶しています。末期は、豪遊券でB寝台利用が多く一般客とは隔離されていましたが・・・。最近地方へ行っても少子高齢化で、通勤・通学者の激減を感じます。かつては長大編成で超満員だったものが、4両~6両程度でも長い部類に入ってしまいますね。運行本数が増えての結果というケースもない訳ではありませんが。
寝台車に近い普通車自由席でグースカ寝てたけど 普通列車になる宮崎から学生はだ~れも乗ってこなかった思い出が…
急行はまなす見たいですね‼️。
20系+12系の急行[日南]に乗りました!(^o^)
やっぱ、西鹿児島だよな
夜行専属特急列車になり名前もドリームにちりんに変わったら、寝台車は完全に消えて寝台車の無い完全な特急電車になりましたね。
博多~小倉まで降りる客がこの列車乗ってヘタに熟睡すると…大分通り越して日向市や宮崎まで「お乗り越し~!」いう怖い列車やwちなみに博多~小倉はJR九州(大分運転所)所属のED76が牽引して小倉~西鹿児島はJR貨物(門司機関区)所属のED76が牽引
さすがに西鹿児島まで乗り過ごす乗客はいないとは思いますが、小倉での座席転換や車内改札で行先をチェックされていますから、乗り過ごすといってもせいぜい1駅、2駅程度でしょうね。
+城崎かすみ この急行は宮崎~西鹿児島間普通列車やから乗り心地エエ列車いうことで結構ファンがついてた俺はというと…九州ワイド1枚で旅行中「今夜は長く寝たい」と思うた時乗ってた^^;普通車自由席のシートにも急行グリーン車クラスと快適性に手抜きせぇへん 好きな急行ですよ
小倉で下車する予定が寝過ごして大分まで行ってしまいました🥶😭
カラカラベルですねぇ
その後かいもんと共に急行列車から夜行専属特急列車になったにちなん、名前も其々変わり更にその後廃止になりましたね。
通しだとかなり長時間だったような。
まさに「夜汽車」ですね。
オレンジカードか、
終点までの停車駅と時刻を言わないのはちょっと残念(笑
博多から自由席(指定券には時刻記載あり)に乗車する人の大半は小倉までに下車、最終の「にちりん」に遅れた大分までの乗客がいる程度だったのでしょうね。小倉からは、新幹線乗り継ぎ客などで再度にぎわい、改めて詳しい放送が行われていましたが、宮崎以南は普通列車ということで、主要駅のみの案内でした。
伊藤チーフや他の門司車掌区の方は乗り間違え防止の為博多から小倉回りの特急や急行は乗り間違え防止の為博多から大分までで停車駅放送を一旦切り小倉発後西鹿児島までの日豊本線停車駅放送すると決められている言う事でした。
@@亀井高行-j6k さん父に聞いたところ、そのとおりだと言うことでした♪終点までが長いので、大分駅で最後の放送するなど分割して放送してたそうです。
あ~あ、この車掌さんも「門司」の言い方、間違っとるし(怒)!!!なんで、門司が文字とおんなじ言い方なんねっちゃ!!!きもちわりいっちゃ!!!
yukichura 門司車掌区はこの時代は門司(もんじ)さんや入学さんなど珍しいお名前の方が居ましたね。伊藤チーフの放送も独特で観光列車のさきがけのオランダ村特急やゆふいんの森の2世などの1番列車は何時も伊藤チーフが乗務でしたね。
も↗︎じ↘︎ではない、ということですよね?地元の発音(本来の発音?)はどんな感じなのでしょうか。
@@亀井高行-j6k さん伊藤の娘です。父の事をご存知でいてくれて嬉しく思います(*´ω`*)今でも、ゆふいんの森、オランダ村特急の話はよくしています。多くのお客様から愛されたことを誇りにもっているとのことでした♪
@@1078rtk も→じ→が正解だと思います(*´ω`*)一緒に乗車してたのがもんじさんだったので、分かりやすいように変えてたそうです。
急行日南の時代の頃は、小倉までは鳥栖運転区が乗務してたんですね。
博多以北は、小倉運転区だと思ってました。
音欠けしてしまったハイケンスに時の流れを感じます。日豊線は長閑で情緒があっていいね。
[西鹿児島ゆき]と言う時のイントネーションがどんな車掌さんも同じなんですね。九州独特のアクセントがあるからだと思います。他の車内放送聞いても同じイントネーションですね。九州らしい放送、九州の放送の思いでになります。もう聞けないので貴重ですね。
ちょうどこの年あたりに、東京から寝台特急と九州ワイド周遊券を使って九州巡りをしましたが、
周遊の途中で、博多から西鹿児島までの大移動の際に、日南を選択して乗り通しました。
かいもんでも良いかと思いましたが、
確か少しでも長い時間列車に揺られたいと思い、寝台の指定を取ったと思います。
寝台利用者がほぼ宮崎までで下車したようで、
宮崎以南の普通列車運転では貸切状態で、贅沢な思いをさせてもらいました。
まだゆったりと汽車旅を満喫できた良い時代でしたね。
はじめまして。
父が現役車掌だった時の車内放送が聞けて、父と共に感動しております!!
映像を残していただきありがとうございます(´;ω;`)
チャンネル登録させてもらいました。
映像をみながら父の思い出話を聞きたいと思っております。
喜んでいただけて光栄です。国鉄末期~JR初期にかけては、趣味的には最も楽しい時期でした。旅情を味わえる列車も相次いで廃止されていき、ベテラン車掌長さんたちも引退され寂しい限りです。折角高性能デジタルビデオカメラやレコーダーが発売されても記録に残したい対象がすでに消滅してしまったのが残念でなりません。拙い映像や音声ですがよろしくお願いいたします。
ただ懐かしい。
20系乗りましたね~。上段だったんで割りと頭上空間ありました‼️🤣 西駅発車直後、車掌さん達が「おっ、寝台、1人乗っとる」と話していたことを思い出します🤣
この動画では博多始発ですが、1982年11月改正時の時刻表(復刻版)を見ると、門司港始発だったみたいですね。1982年だと1号車より前の西鹿児島側に郵便車(門司から)と荷物車を連結していたようです。また、西鹿児島行きは宮崎から都城までは始発列車を、門司港行きは国分から宮崎までは最終列車を担っていたようですね。
北海道の人間だから日南号には乗ったことがないけど、札幌ー青森を結んでいた急行はまなすと雰囲気がよく似ていると思った。きっと昔はこんな旅情あふれる夜汽車が全国に走っていたんでしょうね。今は全部なくなってしまいましたが…
かつては新聞や荷物輸送も鉄道が担っていましたから、多くの夜行列車が運行されていました。荷物扱いがなくなってからは、夜行列車の廃止が加速して、団塊世代の引退と国鉄から引き継いだ車両の更新時期にあわせて風前の灯となりました。
気分最高です。
これは特殊なんですよね。一応かいもんと共通運用なんですけど。宮崎から普通に変わるんですよね。
筑豊本線で50系連結してた車内ですね 1回だけ乗車した経験があります
宮崎を過ぎると、普通列車になるので、通学の高校生が一杯乗ってきたように覚えています。
確かに通学生は乗ってきましたが、大した混雑ではなかったと思います。むしろ、通学時間帯を過ぎた鹿児島直前の用務客対応の方が乗車率は高かったと記憶しています。末期は、豪遊券でB寝台利用が多く一般客とは隔離されていましたが・・・。最近地方へ行っても少子高齢化で、通勤・通学者の激減を感じます。かつては長大編成で超満員だったものが、4両~6両程度でも長い部類に入ってしまいますね。運行本数が増えての結果というケースもない訳ではありませんが。
寝台車に近い普通車自由席でグースカ寝てたけど 普通列車になる宮崎から学生はだ~れも乗ってこなかった思い出が…
急行はまなす見たいですね‼️。
20系+12系の急行[日南]に乗りました!(^o^)
やっぱ、西鹿児島だよな
夜行専属特急列車になり名前もドリームにちりんに変わったら、寝台車は完全に消えて寝台車の無い完全な特急電車になりましたね。
博多~小倉まで降りる客がこの列車乗ってヘタに熟睡すると…大分通り越して日向市や宮崎まで「お乗り越し~!」いう怖い列車やw
ちなみに博多~小倉はJR九州(大分運転所)所属のED76が牽引して小倉~西鹿児島はJR貨物(門司機関区)所属のED76が牽引
さすがに西鹿児島まで乗り過ごす乗客はいないとは思いますが、小倉での座席転換や車内改札で行先をチェックされていますから、乗り過ごすといってもせいぜい1駅、2駅程度でしょうね。
+城崎かすみ
この急行は宮崎~西鹿児島間普通列車やから乗り心地エエ列車いうことで結構ファンがついてた
俺はというと…九州ワイド1枚で旅行中「今夜は長く寝たい」と思うた時乗ってた^^;
普通車自由席のシートにも急行グリーン車クラスと快適性に手抜きせぇへん 好きな急行ですよ
小倉で下車する予定が寝過ごして大分まで行ってしまいました🥶😭
カラカラベルですねぇ
その後かいもんと共に急行列車から夜行専属特急列車になったにちなん、名前も其々変わり更にその後廃止になりましたね。
通しだとかなり長時間だったような。
まさに「夜汽車」ですね。
オレンジカードか、
終点までの停車駅と時刻を言わないのはちょっと残念(笑
博多から自由席(指定券には時刻記載あり)に乗車する人の大半は小倉までに下車、最終の「にちりん」に遅れた大分までの乗客がいる程度だったのでしょうね。小倉からは、新幹線乗り継ぎ客などで再度にぎわい、改めて詳しい放送が行われていましたが、宮崎以南は普通列車ということで、主要駅のみの案内でした。
伊藤チーフや他の門司車掌区の方は乗り間違え防止の為博多から小倉回りの特急や急行は乗り間違え防止の為博多から大分までで停車駅放送を一旦切り小倉発後西鹿児島までの日豊本線停車駅放送すると決められている言う事でした。
@@亀井高行-j6k さん
父に聞いたところ、そのとおりだと言うことでした♪終点までが長いので、大分駅で最後の放送するなど分割して放送してたそうです。
あ~あ、この車掌さんも「門司」の言い方、間違っとるし(怒)!!!
なんで、門司が文字とおんなじ言い方なんねっちゃ!!!
きもちわりいっちゃ!!!
yukichura 門司車掌区はこの時代は門司(もんじ)さんや入学さんなど珍しいお名前の方が居ましたね。
伊藤チーフの放送も独特で観光列車のさきがけのオランダ村特急やゆふいんの森の2世などの1番列車は何時も伊藤チーフが乗務でしたね。
も↗︎じ↘︎ではない、ということですよね?
地元の発音(本来の発音?)はどんな感じなのでしょうか。
@@亀井高行-j6k さん
伊藤の娘です。
父の事をご存知でいてくれて嬉しく思います(*´ω`*)
今でも、ゆふいんの森、オランダ村特急の話はよくしています。
多くのお客様から愛されたことを誇りにもっているとのことでした♪
@@1078rtk
も→じ→が正解だと思います(*´ω`*)
一緒に乗車してたのがもんじさんだったので、分かりやすいように変えてたそうです。